この記事は、cleanlanguage.com/a-part-wants-me-to-die (James Lawley)の翻訳です。
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<翻訳者付記>
()で言葉を補っている箇所があります。
日本語で理解しやすいことを優先して翻訳しています。そのため、直訳するとわかりにくいと判断した部分は、意図が残るように注意して抄訳もしくは意訳しています。(「言葉の機能を優先して翻訳してほしい」が著者の希望でもあるため、著者了解済みです)
以下の注釈付き記録は、ウクライナの心理学者と心理療法家のグループの中で行ったクリーンランゲージとシンボリック・モデリングの14回目の公開デモンストレーションのセッション記録です。セッションのクライアントは、ウクライナの心理学者と心理療法家グループの中のメンバーです。
このグループは、戦争によるトラウマが継続的に続いている中、自分自身とクライアントを支援するためにクリーンなアプローチを活用したいと考えています。過去の3年間で、このグループとのセッションは、トレーニング、実際のクライアント事例のスーパービジョン、そして参加者のライブ・ファシリテーションを組み合わせた形へと発展してきました。今回のウェビナーでは、「パーツ・ワーク」に対する私たちのアプローチを紹介し、その後、デモンストレーションと短い振り返りを行いました。
このデモンストレーションの記録には注釈が付いています。そこでは、いつどこで、どのクリーンランゲージの質問を問いかけるかを決定する際に考慮した点を示しています。
このセッションには、クライアントの次のような状態に対して、ファシリテーションをどのように行ったかを示す興味深い特徴がいくつか含まれています。
複数のパーツ(ペルソナ)を持っている。
記憶・物語・反応・洞察が入り混じっている
「ママがいないと生きていけない」と感じ、死にたいと思っている子どものパーツ
「パーツ」とのワークの導入
みなさん、こんにちは。今回のウェビナーはキプロス島から配信しています。そのため、珍しいことに、ウクライナにいる皆さんと同じタイムゾーンにいます。
アンナ(Anna Stativka)が今日のテーマとして、興味深いテーマを提案してくれました。それは、「クリーンランゲージをパーツワークの中でどのように使うか」です。
ほとんどの心理療法の方法には、「パーツ」や人の一部と向き合う考え方が含まれています。もちろん、ジークムント・フロイトはイド、自我、超自我の概念を提唱しました。交流分析では、親・大人・子どもというパーツが使われています。ゲシュタルト療法のフリッツ・パールズは、トップドッグとアンダードッグの概念を持っていました。カール・ユングは元型(アーキタイプ)を提唱しましたが、これも一種の「パーツ」と考えることができます。そして、近年人気が高まっている手法として、インターナル・ファミリー・システム(IFS)があります。これは、人が扱うさまざまな「パーツの家族」の概念を含むアプローチです。
みなさん、これらの「パーツ・ワーク」のいくつかに馴染みがあるのではないかと思いますが、いかがでしょうか?[(参加者から)ノンバーバルで同意あり]
今日登場する事の中で最も役に立つものは、おそらく「パーツ」に対する私たちの考え方をお知りになることかもしれません。というのも、今、述べたいくつかの方法とは違う考え方のものだからです。
まず認識すべきことは、「パーツ」という発想がメタファーだということです。
人間には、パーツ(部分的なもの)はありません。人間は全体的なもの(whole)です。しかし、自分のさまざまな側面について語るのには「パーツ(一部)」は便利な方法です。私たちの手法では、「パーツ」を「意図を持つシンボル(象徴)」として扱っています。
何らかのシンボルは、ただその何らかをシンボル化(象徴化)したものにすぎません。シンボル達はクライアントのメタファー・ランドスケープの中に登場しますが、「何かしたい」と望んではいません。ある時には、「石」はただの石です。
けれど「何かが起きることを望むシンボル」もあります。そのようなシンボルは、クライアントのシステムの中で、すでに活発な役割を演じているか、もしくは、演じたいと望んでいます。私たちは、そのようなシンボルのことを、「知覚者(perceivers)」と呼んでいます。知覚者は、メタファー・ランドスケープの中で知覚することができ、何かが起きることを望みます。
その意図を持ったシンボルが、「パーツ」に「最も近い」ものだと考えられます。つまり、知覚者(perceiver)の種類は非常に幅広いのです。子どもや親、モンスターといった一般的なペルソナだけではありません。(メタファー・ランドスケープの中では)、物体や身体の部位などにも感情や思考があったり、何かが起きることを望んでいたりすることがあります。私たちはそういったモノも「知覚者」だと捉えています。
私たちは、それらをパーツとは考えていません。「意図を持つシンボル」だと考えています。
例えば、もしもクライアントがこう言ったとしましょう。
「洞窟があります。暗いんです。それで、暗闇が怖がっています」
私たちは、クライアントが「私のインナーチャイルドが怖がっています」と言ったときと同じ方法で、この「暗闇」を取り扱います。
また、もしもクライアントが「葛藤中なんです。片方の手はこれが欲しい、もう片方の手はあれが欲しいんです」と言ったとしましょう。私たちは、その「手」を取り扱います。「批判的なパーツ」、「遊びに満ちたパーツ」というような、より伝統的なパーツを使ってクライアントが葛藤をシンボル化した時と同じように扱います。
ここまでお話ししたことが最初に考慮する必要があることです。
二つ目です。私たちは、すべてのパーツを平等に扱います。クライアントがそのパーツを良いものと考えていようが、悪いものだと考えていようが、また、そのパーツのことをポジティブと考えていても、ネガティブと考えていても。また、そのパーツが、クライアントに親切でも、クライアントを傷つけていても、パーツがクライアントに痛みを与えていようが、どのパーツも、同じクリーンランゲージの質問を問いかけられることになります。
私たちはクライアントに「2つのこと」をしてもらうよう、ファシリテーションします。
1つ目は、シンボル/パーツが何らか形を持つようにすること。できれば場所も。
2つ目は、シンボル/パーツの「起きてくれたら好いこと」(シンボル/パーツの望み)を明らかにすること。
そして、3つ目のポイントがあります。パーツが1つだけということは決してありません。いつでも、互いに関係し合う2つ(以上のパーツ)が必要なのです。最低2つです。クライアントが二つの隔たっている部分を想像するとしたら、その隔たりは、クライアントがパーツを2つ生み出すことを意味しています。
そして、その2つのシンボル/パーツには、常に何らかの関わりがあります。シンボル/パーツ同士が相互作用していたり、もしくは、ただ単に互いの存在を知っていたりするなら、両者には関係性があるでしょう。
私たちは、クライアントが、「パーツ同士の関係性も含めた内的世界やメタファー・ランドスケープ」に意識的になれるように、また、「(パーツ同士の)関係性そのもの」に意識的になれるように、ファシリテーションします。
そして、クライアントがそれができるとしたら、それは、(その2つのシンボル/パーツがあるのとは)別の場所からその2つのパーツを観察している「第3の知覚者」がいることが前提になります。つまり、クライアントはこの時点で、より高次で包括的なレベルで作業をしていることになります。
その後、私たちは、クライアントに以下のようなことを問いかけます。
「そして、(その状態)の時、あなたは何が起きてくれたら好いのでしょう?」
クライアントの中には、「自分自身のある部分を取り除きたい、もしくは、消滅させたい」と考えている人もいます。しかし、それが実現できるのはまれです。例えば、あるクライアントは批判的なパーツを窓から投げ捨てたいと望んでいました。私たちは問いかけました。
「そして、あなたには、その窓から、その批判的なパーツを投げ捨てることができますか?」
クライアントは言いました。「はい」
「そうすると、何が起きますか?」
批判的なシンボル/パーツは、窓から投げ捨てられ、地面に衝突して死んでしまいました。クライアントは「そのシンボル/パーツは死んだ、もしくは、死んだに違いない」と考えました。ところが5分後、その批判的なパーツは、批判しながら戻ってきて、セッションの間中、クライアントを批判し続けたのです!
そのパーツ自身の立場からしてみれば、批判的なパーツもある重要な役割を果たしているのです。ですから、批判するのをやめることも、消滅することもありません。
パーツを消滅させたり消し去ったりするより、パーツが他の何かに変化する方がより一般的です。シンボルの形が変化すれば、位置や働きも変化します。そうすると、シンボルとクライアントの関係性は変化します。
これが、シンボル/パーツの意図や目的、その働きをはっきりさせることが重要な理由です。そして、このことは、「クライアントは様々なことを発見することがある」と意味しています。
だからこそ、それぞれのシンボル/パーツの働きや目的、そして意図を見つけ出すのが重要なのです。それは、時には、クライアントが難しいことを発見することもあることを意味します。恐ろしく厄介なことをしたがるパーツもあるのです。ですが、私たちは、どちらの側にもつきません。たとえクライアントが、「あるシンボルより他のシンボルを選びたい(優先させたい)」と望んだとしても、私たちがそうすることはありません。
私たちのやり方は、何かを起こそうと試みたり、いくつかのパーツを統合させようとしたり、葛藤を解消しようとしたりするものでありません。そうではなく、クライアントが「自分のシステムが、今、どのように動いているのか」、「自分はシステムがどのように働くのを好むのか」を理解するのをサポートします。そして、その後に起きることを見守ります。
私たちは、「メタファー・ランドスケープの中で自発的に変化する何か」をひたすら待ち続けます。それは、クライアントが「(クライアント自身の)メタファー・ランドスケープからのフィードバック結果」を得ることでもたらされるものです。その後に私たちはその変化とのワークに取り組み、その変化がどうなるのかを見届けます。最終的にどうなるのかは、私たちには全くわかりません。
[ペニー]
モンスターに追いかけられていたあるクライアントのことを思い出します。
そのモンスターは彼女を何年の間、追いかけていました。彼女は、モンスターを追い払うためにやれることは全部やったんです。(でも追い払えなかったんです。)というのも、そのモンスターは彼女を捕まえて傷つけると決意していたからです。
私は問いかけました。
「そして、そのモンスターのその決意は、どんな決意なんでしょう?」
この質問は、モンスターに向けてのものでしたが、クライアントのシステムは「決意」に関するクライアント自身の経験にアクセスしました。そして、クライアントは言いました。
「それは強い決意です。容赦ない決意です」
「そして、その決意はどこにありますか?」
彼女は言いました。「[体を触りながら]ここにあります」
その瞬間、クライアントはモンスターの視点を手に入れたのです。それで、私たちは「ここ」の形や大きさを展開し、メタファー(に変換できるよう)に展開し始めました。クライアントは、「そのような決意こそが、自分が人生全てにおいてずっと必要としていたものだ」ということに気づきました。
そして、彼女はこう言いました。
「モンスターがいつでも私を追いかけるのも無理はありません。だって、モンスターは、私には自分が必要だと知っていたのだから」
この例が示しているのは、みなさんにはシンボルの意図が予測できないということなんです。もしもそうできるなら、すでにクライアントはモンスターを取り除いていたことでしょう。・・・ですが、幸い、彼女の中にあるより広い(視野を持つ)システムが、クライアントの望みよりも賢かったのです。
どなたか、「パーツ」をどのように取り扱うかをお見せするワークにお付き合いいただけますか?普段は決して聞きませんが、デモンストレーションのためにお聞きします。私たちと一緒に取り扱ってみたいパーツをお持ちの方はおられますか?
[有志の参加者が名乗りでる]
注:
C:クライアント F:ペニーまたはジェームズ
通訳:アンナ(Anna Stativka)
デモンストレーション中、ファシリテーター側から導入した言葉は、以下を見分けやすくするために、太字文字で表示しています。
1. 言葉の出所:ファシリテーターなのか、クライアントなのか。
2. クリーンランゲージの質問形式
注釈中の「プロブレム」「レメディ」「アウトカム」の意味は、PROモデルの定義に添います。
PROモデルについて、詳しくはこちら(日本語):https://www.clean-wiki.com/post/coaching-for-pros
訳註:セッションの性質上、以下の言葉を翻訳し分けています。
「ママ」:原文mom 「お母さん」もしくは「母親」:原文mother
セッション記録
翻訳を入れて40分間のセッションです。 以下のファイルをダウンロードしてご覧ください。
セッション後のディスカッション
ペニー[グループに向けて]:
ご清聴ありがとうございました。あと数分ありますが、セッションのプロセスについて何か質問はありますか?
参加者1:
はい。質問があります。5歳か6歳のシンボルが登場したとき、着ているものを問いかけたのはどうしてですか?
ペニー:
その質問が、メタファー・ランドスケープの中の「シンボルに形を与える」からです。その「5歳か6歳」は、ただの(年齢を表す)概念ではありません。(訳註: 5歳か6歳=シンボルの名前)
今いるその子供(5歳か6歳)には何か着ているものがあります。もし子供のシンボルが服を着ていれば、その服を身につけている体があるはずです。そして、体は何かしらすることができます。体は動くからです。これが、私たちが、たまに、子供が身につけているものを問いかけることがある理由です。また、もし、子供(のシンボル)が身動きが取れなくなっていたり、隠れていたり、動きたがっていたりする場合があれば、足に注目すると、クライアントの助けになるかもしれません。
参加者2:
これまでに私が見たデモンストレーションと比べると、(今回のデモは)質問を問いかけた回数が少なかったように見えました。
ペニー:
いい着眼点ですね。
クライアントの題材が持つ性質の関係上です。
特に、「クライアントに死んでもらいたい、そして死ねる」というシンボルが含まれていたのを考慮しました。それで、いつもよりもさらにスピードを落としました。クライアントの描写には複雑なものが多かったので、私たちは、クライアントの「5歳か6歳に死にたがるのをやめて欲しい」という望みにもっとも関係していそうな部分を慎重に選びました。
この話は非常にデリケートな題材です。それに私たちは、ランドスケープの中にある全てのシンボルを最大限に尊重したいのです。私たちには、セッションがどっち方向に進むべきなのかが全くわかりません。ですから、プロセス自体のペースにまかせて、プロセスを解きほぐしていきました。
ジェームズ:
終わる前にひとことだけ。
このセッションがそうだったように「パーツ」が子供だった場合、そこにたくさんの記憶が関わっていることがよくあります。私たち誰もが、かつては子供だったからです。
記憶、それから、たった今クライアントにこの場で起きていることを念頭においてください。クライアントは、過去と現在の狭間でさまざまに並行しているものを生み出し続けます。
それでいいんです。多くの興味深い物事は、その中から現れます。
そして、クライアントが自分の経験について考えていようといまいと、私たちは、セッションの間中、(その時々)「今、あるがままの」クライアントと「今、あるようにある」シンボル、その両者と作業をします。
このケースで起きたことのうちで興味深かったのは、誰が誰をハグしたか、誰が誰にハグをされたかに象徴されるさまざまな関係性をクライアントが見つけ出したことです。
終盤までに、クライアントは「母親のパーツは安らかに眠りたがっている」という結論に辿りついていました。もしセッションを続けていたら、おそらく私たちは、このパーツが抱く新しい望むアウトカムとの作業に取り組んだでしょう。私たちに、この新しいアウトカムの登場を最初から予見することができたでしょうか?
こういうセッションは複雑です。5歳か6歳のパーツがありました。それから、7、8ヶ月の子供の物語、それから、ある時期にかけての母親の病気の記憶。そして、母親の死。さらに、クライアント自身の健康問題。
(セッション中)クライアントは(それらを語ると)同時に、それらを追体験しています。そして、この全てに反応します。ファシリテーターが複雑さに振り回されないことが重要です。この全てを解き明かす責任の所在は、クライアントにあります。(ファシリテーターにはありません)
ファシリテーターとしての私たちの責任は、創発され解き明かされる必要がある物事が、創発され解き明かされるように、クライアントをクリーンにファシリテーションすることです。
私たちの役目は、クライアントがプロセスを進め続けられるように手助けすることです。私たちには、このセッションの効果を知ることができませんし、クライアントにもまだわかっていないでしょう。数日、数週間、数ヶ月かけて、よりはっきりすると思います。
ご清聴ありがとうございました。
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