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クリーンランゲージの構成要素は何ですか?

最近、「クリーンランゲージの構成要素は何ですか?」と質問されました。人がクリーンランゲージにより深く踏み込むまでは考えるに違いない、可愛らしい率直な質問です。それは興味深い質問です。なぜなら、”Clean Language”という用語を使った手法は、デイビッド・グローブが1980年代初期にその言葉を生み出した後、激増したからです。


わかりやすい回答としては、クリーンランゲージはクリーンな質問(clean questions)のセットで構成されている、デイビッド・グローヴによって生み出された手法/方法(メソッド)です。とはいえ、その質問セットは、デイビッドによって行われたクリーンスペースのプロセスに使う『クリーンな指示』の開発を含む技術革新の中で、30年以上かけて大いに進化発展しました。ペニー・トンプキンスと私は、1997年、クリーンランゲージについて、私たちにとって初となる著作を発表しました。そしてそれ以降、私たちは、その質問について描写する方法の細かな部分を、何度かにわたって修正しました。


何が『クリーン』で、何が『クリーン』でないか、厳格に定義することはできません。フィル・スワローとウエンディ・サリバンは、この変化性を『クリーン連続体(原文:clean continuum)』と呼びました。


2002年に、ケイトリン・ウォーカーと私達が、警察の取り調べ官のトレーニングの仕事を一緒にした後、私達は、何がクリーンな質問を構成するかは、質問を適用する分野によって異なると気がつきました。例えば、交通事故を捜査する警察官は「車を運転していたのは誰ですか?」または「事故発生は何時ですか?」と尋ねる権限を与えられています。これらは物質世界において、前もって推定されうる質問だからです。もし事故が、誰かのメタファーランドスケープで起きたのであれば、それらの質問はクリーンではありません。



それゆえ、私たちは、デイビッド・グローヴが心理療法の為に使用した元々のクリーンランゲージとの違いをはっきり区別するために、『文脈上クリーン(原文:contextually clean)』という用語を使います。


ここ10年間で、クリーンなアプローチを含む革新のペースが加速しています。デイビッド・グローブはクリーンスペースとエマージェント・ノレッジを発表しました。私達は、変化のためのフレームワーク、クリーンスペースライト、シンボリック・モデリング ライトを発表しました。そして、クリーンランゲージは、他の多くの技法や手法に組み込まれていきました。


以下は、クリーンプロセス/方法論のリストです。いつ頃、最初に開発されたかの大まかな時期と創始者の名前です。


クリーンランゲージがそれらの方法論とどのように関連しているか理解する為には、より広い枠組みが必要とされます。必要な区別をする為に、私は階層(原文:levels)を利用することを好みます。事実上、3つに分かれています。



私の辞書は『方法(原文:method)』を何かを達成するため(特に系統だった何か、または何かを確立する為)の手順の特定の方式、と定義します。それに反して、『方法論(原文:methodology)』は、研究または活動の特定の領域で使用される手法(method)の体系です。従って、方法論は、方法より、より高度な論理的階層です。


クリーンランゲージは、上のリストであげた方法論で使われた核となる方法です。1998年、デイビッド・グローヴはクリーンランゲージの哲学(philosophy)と原則(principle)を定義しました。これらの原則は、彼のクリーンな質問のような何かを指してはいません。また、私たちがMetaphors in Mind(PP45-47)のチャプター2の最後に要約したシンボリックモデリングの基本原則もまたそうではありません。これは『哲学』は基本原則を支配する絶対的なものと、また、選択した方法論のプロセスの中でいかに方法を使用するかについての仮説を含むからです。これらの階層間の違いを見分けるのは、まずまず簡単です。



A method or practice(方法または実践) 実践または方法は、瞬間瞬間にあなたが見聞きできる態度 / 振る舞いを含みます。


A process or methodology(プロセスまたは方法論) プロセスまたは方法論は長い時間をかけて行われます。それが首尾一貫したアプローチとして構成しまとめられるには、多くの段階/時期を必要とします。プロセスや方法論には目的があり、その時すべき振る舞いを選択するためのフレームワークを規定します。


The principles of a philosophy(哲学の原則) 哲学の原則は、文脈をまたがって方法論の考案と実践を導く原理と観念の抽象的集合です。プラクティショナーもまた、それに導かれます。特に、不慣れな状況においては。


考えてみてください。それぞれの階層を使いこなす十分な実力になるにはどれくらいの時間が必要か。人々は、数日間のトレーニングでクリーンランゲージを上手に使えるようになります。クリーンな方法論のひとつを上手に使えるようになるには、より多くの時間と努力を必要とします。(方法論のいくつかは、さらに時間を必要とします)。そして、クリーンの原則(原文:the clean principles)を身につけるには、通常は数年を必要とします。そして、体の中が完全に満たされるくらいになって、あなたは新しい文脈の中でワークすることができるようになったり、新しいプロセスを生み出すことができるようになります。


階層を表す三角形は、また、階層をはっきりさせることで、クリーンランゲージをクリーンなプロセスではない他の方法論と一緒に利用することを可能にし、逆に言えば、いくつかの『クリーンではない』質問をクリーンな方法論の中で利用することも可能にします(私はそれを推奨しているわけではありません!)。しかしながら、もし方法と方法論/プロセスがクリーンの哲学と一致しなければ、何が起きようと、それはクリーンにはならないでしょう。


『クリーン』って何ですか?


この質問は、私を、また別のポイントへと誘います。『クリーン』という言葉は、メタファーとしてスタートし、そして、どんどん、<全体を表す一部>という意味の換喩(メトミニー)として使われるようになりつつあります。この意味においては、『クリーン』は全ての分野において、タイトルまたは総称的な名称となりました。私は、それはそれで構わないと思います。そして、このことはいかに言語が使用を通じて進化するかという好例です。


だけれども、『クリーンランゲージ』と呼ばれる方法論が大量生産され(先に述べた3つの)階層が合成されるのは、何の役にも立ちません。 私はこれをベイトソンのロジカル・タイピングの誤りと呼ぶことにしましょう。クリーンランゲージは、観察可能で、言葉で直接的な描写をすることができる態度/振る舞いとして存在します。彼女がこう言った、彼はそうした、等々。


方法論はより抽象的です。それは、文脈に適応させる必要があるプロセスのハウツーですから、私はプロセスは『クリーンランゲージ』と呼ばれるべきでなく、その代わりに、そのプロセスの源は認めるけれども、それぞれプロセス独自の名前をつけるべきだと考えます。例えば、私たちは、しばしば『デイビッド・グローヴのクリーンランゲージを使用するシンボリック・モデリング』と口にします。


結論を出すために、ペニーと私は、クリーンランゲージの機能と構成要素をメタファー・イン・マインド(282−283ページ)の中の2ページに要約しました。この要約は、何がクリーンランゲージを構成するか、その最重要な要素ではないに違いありませんが、それでもそこに、クリーンランゲージという手法/方法(the method)の核心を明記しています。私はそれゆえ、人は『クリーンランゲージを使用する』と合法的に主張できるという話以前に、人はかなり本質的な核心を利用する必要があると同時に、その人が必要とする一部分(例:1分間モチベーション/One-Minitue Motivationは、4つの質問だけを使用します。その内3つは、伝統的なクリーンランゲージからのものです)を含んだ本質的な一部分を利用する必要もあると思うのです。何かがなされる途中で、ただ1、2つのクリーンの質問を尋ねるのは、便利ではありますが、私の考えでは、それは、クリーンなプロセスと呼ぶには値しません。混乱を避け、デイビッド・グローヴへの敬意を保ち続けるため、私はそのプロセスはクリーンランゲージと呼ぶより、何か他の名称で呼ぶことを推奨したいと思います。



原題:What Constitutes Clean Language? 著者:ジェームズ・ローリー James Lawley  2013.2.10 原文:https://www.cleanlanguage.co.uk/articles/blogs/86/

翻訳:Clean Language translation project

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