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「どこ」の話の時(1)〜サイコアクティブな空間はどのように作られ利用されるか〜 | クリーンランゲージ 【翻訳】

この記事は、以下の翻訳です。When Where Matters: How psychoactive space is created and utilized (著者:ジェームズ・ローリー)

 

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目次


 

この記事では、シンボリック・モデリングにおいて、サイコアクティブな空間(精神活性化された空間)がどのように作られ、どのように利用されているかを説明します。 ある人にとって、ある空間が一旦サイコアクティブな状態になると、その人は事実上、「メタファーの中を生きています」そして、その知覚空間の中で何かが変化すると、その人の心と体がより影響を受ける(involved)ようになります。 この変化は、しばしば自然に起こります。これは通常、単に変化について「話す」以上に、より体感的(具現的/embodied)で全身的(体系的/systemic)な変化を生み出します。この体験は、必ずしも大きな感情の表出やカタルシスを伴うものではありません(影響と効果は一致しません)。 しかし、たとえその時、クライアントが変化をはっきりと表現できなかったとしても、クライアントには何かが変わったことがわかるのです。 この記事では、デイビッド・グローブの研究から派生した方法論が、セラピーやその他の場面で<どのように空間的な関係性によって精神活性作用(psychoactivity)を引き起こすか>、その統合モデルを提示します。

 

しかしながら、サイコアクティブな空間を考察する前に、まずは一歩下がって、知覚空間とサイコアクティブについて定義する必要があります。


知覚空間

知覚空間とは、「ある空間」における人の主観的経験です。知覚的に、空間は、その空間内に存在する物とシンボルの配置(構成/configuration)と、その空間と他の空間とを区切っている境界によって定義されます。空間には、相互に関連する2つのアスペクトがあります。

  • 物理的空間:人の体の周囲と内部にあり、五感で直接知覚できる空間。

  • メタファー空間:その人の想像力の許容範囲の中で広がる空間。

デイビッド・グローブの知覚空間への旅は、以下のような彼の疑問に端を発しました。「誰かが精神的に解離するとき、彼らはどこに向かって解離するのだろう?」 この疑問は、空間の本質と、空間がセラピー過程で果たす役割の探究に関係しました。そして、1990年代初頭に始まった彼の探究は、今日まで続いています。 (訳註:この記事はデイビッド・グローブ生存時に書かれたものです)


私は、私たちが<物理的空間>とみなしているものは、<人間特有の感覚と神経、そして環境の共進化の結果生み出された人間の心の構造物>だと考えています。空間とは、私たちと無関係に<そこにあるもの>というよりは、人間社会の進化と共に進化してきた動的な構成概念なのです。例えば、顕微鏡や望遠鏡の発明以後、私たちの空間に対する考えは劇的に変化しました。私は、イメージ上の空間は、物理的な空間における経験が心に形作ったメタファーであると考えています。



サイコアクティブ

サイコアクティブ(精神活性化した状態)とは、人、体、人が知覚することと、その知覚の文脈の間における独特な関係性のことです。サイコアクティブは、人が知覚していることに反応して、思考、感情、身体感覚が象徴的(記号的/symbolic)な意味を持つと発生します。 ある種の薬物は、サイコアクティブ(精神活性/向精神)作用があると考えられています。つまり、それらの薬物には私たちの知覚や気分を変化させる効果があり、それ故に私たちの自己や住んでいる世界についての経験も変化させるのです。この効果が最も劇的に現れるのは幻覚剤です。ですが、鎮痛剤でも、ある程度は同じことが言えます。私たちが薬物を摂取するのは、薬物が私たちの経験を変化させるからこそです。精神活性作用のある薬物については、その薬物が私たちの経験を変化させる原因物質(the causal agent)だとみなされます。(そうではありません。薬物は、私たちのシステムに、体系づけられた反応を引き起こすただのトリガーに過ぎません。同じ薬物を使用しても、人によって反応が異なるのはこのためです) この記事の中で、私が<サイコアクティブ>という用語を使用するときは、<私たち自身の知覚が、私たちの経験を変化させる要因(the agent)になっているように見えるとき>のことです。


文化的象徴(アイコン/icon)は、その最たる例です。自分の国の国旗を見たり、国歌を聞いたりする時、国旗や国歌は、私たちから自然な反応を引き起こす原因となるようです。国旗のイメージを心の中で思い浮かべてみたり、国歌を心の中で演奏してみたりすることにも、同じような効果があります。


サイコアクティブは、映画や小説に引き込まれている時のようなものです。自分はただスクリーンの中の映像を見たり、ただページ中の言葉を読んだりしているだけだということがどこかでは理解できていても、映像や言葉で表現されているものに感情的な反応するのを、私たちは抑えることができません。


ユングは、象徴的な物に宿っている超自然的な何かを「ヌミノシティ」と呼びました。私たちにとっては、この言葉は、あまりにも物体側に主体性(the agency)がおかれ過ぎています。「サイコアクティブ」は、主体性を本来あるべき場所においています。それはつまり個人の精神です。



サイコアクティブな空間


人の心と体が、物理的環境、想像上の心理的空間(マインド・スペース/mind-space)に、象徴的に反応し始めると、空間はサイコアクティブになります。

デイビッド・グローブが<サイコアクティブな空間>という言葉を生み出したのは、まるで、私たちの反応が知覚によって引き起こされているようで、私たちにはほとんど選択肢がないように見えたからです。そして、それはある程度真実であると言えます。


ある空間と、その内部に存在する空間関係に対する知覚がその人自身に依存しない時、私たちは、事実上、その空間が象徴するものの中を刻一刻と生きていることになります。

ここではその空間のことを「サイコアクティブな空間」と表現していますが、サイコアクティブは知覚者(五感を通して物事を知覚する人)と知覚される側の関係性であることを強調しておきたいと思います。


シンボルに注意を向けている時には、空間のサイコアクティブは意識の裏側にとどまって、暗示的にしか現れないかもしれません。

その例の一つには、人が、知覚空間の中でシンボルの位置を無意識にジェスチャーで示す時があります。またある時には、空間そのものが意識の表面に現れ、サイコアクティブな質が明示的に作用することもあります。



空間的な関係性


ある空間がサイコアクティブになるのは、(現実の)物理的な物の数々とその中にあるイメージ上のシンボルの空間的な関係性に、通常の意味を超えて特別な意味がもたらされる時です。つまり、何がどこにあるかが重要になるときです。そして、その何かが知覚者との関係性の中でどこにあるかが、常に重要です。


例えば、一般的には、人は、怖い何かが(自分から)遠ければ遠いほど、リラックスした気分でいられます。ここでは、空間的な関係性は、シンプルに自分の体との距離です。

同様に、怖い何かがゆっくりと近づいてくるほど、私たちは恐怖を感じなくなります。ここでは、空間的な関係性は、時間経過による距離の変化です。

もう一つ、非常に一般的な空間的な関係性は、物が容器の内側、外側のどちらにあるのか、あるいは容器の境界にあるのかということです。つまり、(その物が)私たちの体や部屋、テニスコート、自分の国、地球などの内側にあるのか、それとも外側にあるのかということです。

さらに、物体同士が関わりを持つことで生み出される空間にも、すべて空間的な関係性があります。もし、私が、自分と自分の敵の間に(実際にでも想像上でも)透明な壁を置けば、私の精神状態は変わります。私の肩に(on my shoulder)世界があるか、足元に(at my feet)世界があるかでは、全てに違いが生まれます。英語の前置詞のほとんど全ては、空間的なメタファーと考えることができます。3                    (訳註:日本語では助詞と動詞に空間的なメタファーがよく見られます)

空間的な関係性は私たちがこの世に誕生したその瞬間から存在する根源的なものであり、このような例は、数多くあります。

ですから、空間的なメタファーがあらゆる言語で研究されている最も一般的なメタファーであることは、驚くことではないのでしょう。



サイコアクティブな空間を呼び出す

<サイコアクティブな空間には、想像上の空間と物理的な空間どちらもが含まれている>こと、そして、その<空間的な関係性がサイコアクティブな反応が現れる状態を生み出す>ことを定義しました。この後の部分では、サイコアクティブな空間を作り出す、または、呼び出すための4つの基本的な方法を説明したいと思います。



 

#1. 注意の動き

私たちが認識している見かけ上の「心の劇場」は、さまざまな場所に存在する経験のさまざまな構成要素に私たちが注意を向けることによって作り出されます。

「心の劇場」は個人の内部空間で、それが他の誰かが知るところになるまでには、言葉(または以下の2、3、4によって)で具体化される必要があります。

サイコアクティブな空間を呼び出すのに言葉を使えるのは、私たちの心と体が空間を現実のものとして知覚し、その空間の中で注意を動かしているようだからにほかなりません。

 

#2. 体の部分的な動き


たいていの場合、動く体の一部は、手、頭、目などですが、その他の部分のほとんども、空間的なマーキングに関係している可能性があります。つまり、自分の考え、感情、イメージなどと体が関連する場所があることを指し示す可能性があります。

 

#3. 全身の動き


空間の中を移動したり、場面を演じたり、踊ったりする時、私たちは空間に意味をもたらすことができます。時には、ただ周囲を見回したり、ある場所から別の場所へとほんの数センチ移動したりするだけでも、知覚が根本的に変わることもあるかもしれません。

 

#4. 物質化とは、内部の知覚的なランドスケープを、外部にある物質的な形で言い表すことです。物質化には、描画(マッピング、スケッチ、チャート、図式化)、彫刻、物理的環境の整理、付箋の使用などが含まれます。物質化の特徴を定義すると、それは、「製作者から分離した物理的な存在であること」「物の所在が重要であること」です。

 

これら4つの動作が独立していることはほとんどありません。2つ以上がほとんど、常に同時に起こっています。



©︎James Lawley

Translated by Yukari.I


 

誤訳にお気づきの方は、お手数ですがclean.jikkenshitu@gmail.comまでお知らせください。大変助かります。





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